第9話 心を開いてくれた日

介護の仕事を始めてしばらく経った頃。

利用者さんのお名前や生活リズムも少しずつ覚えられるようになり、毎日の仕事にも少しだけ余裕が出てきました。

そんなある日、忘れられない出来事がありました。

少し認知症を患っている利用者さんが、私の顔を見て優しくこう話しかけてくださいました。

「ごめんね、お名前教えてくれる?」

私は笑顔で名前をお伝えしました。

その時、ふと思ったのです。

認知症があるため、きっと何度も名前を忘れてしまうこともあるのでしょう。

それでも、「この人の名前を覚えたい」という気持ちがあったからこそ、勇気を出して聞いてくださったのではないか。

そう思うと、胸が熱くなりました。

名前を覚えていただくことは、介護職として当たり前のことかもしれません。

でも、その一言には、私を一人の人として受け入れてくださったような温かさを感じました。

もう一つ、今でも心に残っている出来事があります。

夕食が終わり、利用者さんを居室までご案内した時のことです。

私はいつものように、

「テレビは何チャンネルにしますか?」

「カーテンは閉めますね。」

「電気は点けておきますね。」

「ほかに何かご希望はありますか?」

と、お声掛けをしました。

すると、その利用者さんが穏やかな表情で、

「大丈夫。ありがとね!」

と声を掛けてくださいました。

実は、その方は普段、どちらかというとぶっきらぼうな話し方をされる方でした。

「違うよ!」

「そうじゃないよ!」

と、強い口調で話されることも少なくありませんでした。

だからこそ、その日の「ありがとね!」という一言は、私の心に深く響きました。

毎日の小さな声掛けや気配りを、ちゃんと見てくださっていたのかもしれません。

介護の仕事は、体のお世話をするだけではありません。

相手を思いやり、安心して過ごしていただけるよう心を配る仕事でもあります。

その積み重ねが少しずつ信頼につながり、利用者さんが心を開いてくださる。

私は、この仕事を始めて初めて、その喜びを実感しました。

60歳で飛び込んだ介護の世界。

決して楽な仕事ではありません。

それでも、利用者さんの何気ない一言が、疲れを忘れさせてくれます。

「ごめんね、お名前教えてくれる?」

「大丈夫。ありがとね!」

この二つの言葉は、これからも私が介護の仕事を続けていく中で、きっと忘れることのない大切な宝物です。

介護の仕事は、体力的にも精神的にも決して楽ではありません。

それでも、人と人との温かいつながりを感じられる瞬間があります。

その一瞬の笑顔や、何気ない一言が、「この仕事を選んでよかった」と思わせてくれるのです。

私はまだ介護の世界では新人です。

だからこそ、これからも一人ひとりの利用者さんと向き合いながら、少しずつ成長していきたいと思います。


次回予告 第10話「初めて感じた介護の難しさ」

「良かれと思ってやったこと」が、必ずしも正解とは限らない――。

介護の奥深さと難しさを実感した、忘れられない出来事をお伝えします。

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